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「活水の群」の沿革

 基督傳道隊は、柘植不知人先生の自叙伝『ペンテコステ』に書かれているように、不思議な神の摂理により、人為によらず、御霊の導きにより、組織されたものである。
その本旨は、「きよめ」がただ教理に陥り、きよめられたと称する自我が中心となって歩むのでなく、きよめられた自己を更に神にささげ、すべてがキリスト中心になり、ただ活ける神の聖言に立ち、御霊の導きを仰ぎつつ、従うことであった。
 ところが、1927年(昭和2年)、突如、柘植不知人師と召天に遭い、1929年(昭和4年)秋、一応解散して、新しい聖霊による建設を待つことであった。
 その後、柘植師時代の霊の交わりを喜び慕う者が多く、再一致の動きが出て、1937年(昭和12年)、バックストン師の再来日に際して基督傳道隊の名称で、招聘三団体の一つとなった。1941年(昭和16年)、日本基督教団の設立に伴い、旧基督傳道隊所属の諸教会は、日本伝道隊、アライアンスなどの諸教会と共に、第七部の構成団体となった。翌年、部制が廃止されたため、各教会そのまま個々に、日本基督教団の構成教会となった。
 1952年(昭和27年)『活水』誌が再刊され、連合聖会が毎年持たれるようになって、旧基督傳道隊の諸教会が再結集されるようになってきた。
 1962年(昭和37年)天竜峡で教職ゼミナールが開かれ、旧基督傳道隊所属の教職が大部分出席、交わりの時を持った。これを機会に、友好団体「基督伝道会」を設立することになり、1963年(昭和38年)4月「基督伝道会申合せ」を、暫定的な規約として制定した。
 1991年(平成3年)4月、新しい飛躍を願い、キリスト伝道会「活水の群」の名称で、伝道団体として新しく発足することになった。